読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

徒然 然

アニメ批評など。

『ワンパンマン』感想―「俺TUEEE」へのアンチテーゼとして

 遅ればせながら『ワンパンマン』最終話を見ました。

 当初,私は「いわゆる『俺ツエー』系のギャグマンガなんだろうなあ」くらいの認識で視聴をしていて,事実として中盤あたりまではその認識を崩すことはありませんでした。正直なところ最終話の消費がこれだけ遅れてしまったのもそれが原因で,暇を持て余していなければ切っていた可能性すらあります。しかしながら,消費するにつれその本質をようやく飲み込んでいくことができました。今となっては自身の偏見を悔いるばかりです。先入観は良くない。

 

 中にはそうでないものがあることは重々承知していますが,ライトノベルや「小説家になろう」のような界隈で人気を集めている作品はいわゆる「俺ツエー」がほとんどであることは否定できません。平たく言えば,異世界で圧倒的な力を持った主人公が無双する冒険活劇。ことアニメ界においてはその隆盛はやや衰え,食傷の感がありますが,それでもなお一定の人気があります。

 この「俺ツエー」の主軸となるものが主人公のずば抜けた強さであることは言うまでもありませんが,実際にはその根幹となる要因があります。

 それは「周囲からの承認」です。

 主人公はその力の端々を見せることで徐々に周囲に認知され,主人公自身もそれを否としない雰囲気があります。そして,その認知の支えとなるのは「女の子」である場合がほとんどです。攻略対象を増やすが如く,その枝葉は次々と生えていきます。

 

 つまるところ,「俺ツエー」にはその大前提的な基盤として有り余る承認欲求があるわけです。それゆえに私たちは,読みながら,あるいは見ながら,自然と主人公に自己投影することで,スカッとしたり,満足感を得たりすることができるのです。ストレス発散としてはこれ以上ないのは確かなのでしょうが,同時に作品自体の質としてはどこか空虚で紋切型にならざるを得ません。

 それはそれで良しとする向きもあるでしょうし,私もそう思ってはいるのですが,いかんせんそれを盲目的に追い求める人が多いあまり,多様性が失われてしまっているように感じられてなりません。需要が集中していれば供給もそこに集中するわけで,それは結果としてライトノベル,ないしはアニメという文化の狭窄を生み出しかねないのです。

 

 話を『ワンパンマン』に戻します。

 このような視点から見ると,この作品は「俺ツエー」に対するアンチテーゼを掲げているとみることができるのではないでしょうか。

「圧倒的な力ってのは,つまらないもんだ」 

  主人公であるサイタマのヒーローに対する価値観は,どこまでも「趣味」で貫き通されています。信条と言ってもいいかもしれません。形式的に「プロ」となってからも,そのスタンスが変化することはありません。

 ランキングで上位になったり他人に認知されたりすることを「当たり前の範疇で」望みがらも,それに腐心することは決してない。綺麗事を言わず,気張ってもいない。

 とにかく自然体なのです。人間らしく,そしてそれゆえに主人公らしくない主人公です。

 この作品を見る中でどこか爽快感を求めてしまうのは,「俺ツエー」に毒されている証左と言えるのかもしれません。しかしそうではなく,サイタマの「自然さ」に気づいたときに初めて,俯瞰的に,それでいて熱血的にこの作品を楽しめるのだと思います。

 マンガのテンポに適した作品かなとも感じますが,アニメも十二分に気合いが入っていて,文句の付けようのない出来です。第2期にも是非とも期待を寄せたいところですね。