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徒然 然

アニメ批評など。

『ハルヒ』初見の人が2006年版を見るべき理由

 一時期はまさに「社会現象」と呼ぶに相応しい隆盛を見せた『涼宮ハルヒの憂鬱』(以下『ハルヒ』)。

 その第1期から9年,第2期から6年が経った今,「アニメ好きだけど実はハルヒは見たことがない」「前々から気にはなっていたけどまだ見れていない」という方々もそれなりに増えてきたのではないでしょうか。

 そんな人がいざ『ハルヒ』を見てみようとすると,一つの問題が発生します。それは―

 ―「2006年版と2009年版,いったいどちらを見ればいいのだろう?」

 そう,先ほど「第1期」「第2期」という表記をしたものの,実のところ「第2期」は「第1期」のいわば「リメイク版」なのです。すなわち,一般的に言うところの「第1期」と「第2期」の関係性とはまったく異なっていて,こと『ハルヒ』に関しては第2期から見始めても何ら問題は生じないわけです。こういった事情から,『ハルヒ』における「第1期」と「第2期」はそれぞれ「2006年版」,「2009年版」と呼ばれることも多くあります。以下,本記事では後者で書き進めていくこととします。

 さて,普通に考えれば,いわば「最新版」である2009年版に手を出したくなるところでしょう。しかしながら,表題にもあるとおり,私は初見ならば2006年版を見るべきだと考えています。これはもちろん単なる懐古主義から言っているわけではありません。以下にその主な理由を挙げていきます。

 

1. 2009年版は2006年版の「使いまわし」である

 「リメイク版」と銘打っているものの,その実情は放送話数のうち半数が2006年版の再放送です。しかもその半数の新作の中には後述する「エンドレスエイト」が含まれていますから,これを差し引いてしまえば新作は事実上7話分しかないということになってしまいます。

 さらに,たった3年とはいえ映像面は確実に進歩しています。新作映像の中に再放送の映像が混じってしまうというのは,見ていてどうしても違和感を覚えざるを得ません。加えて,OPおよびEDがバラバラになってしまっているのも気になるところです。

 

2. 2009年版には「エンドレスエイト」が存在する

 「エンドレスエイト」は人によって評価が分かれるところですので一概に言うことはできないのですが,少なくとも手放しで絶賛することは難しいでしょう。

 2006年版の視聴後であればまだしも,さすがに初見の方にはオススメしづらいところです。

 

3. 2009年版は放送順が時系列順になっている

 原作の『涼宮ハルヒの憂鬱』(第1巻)(以下『憂鬱』)は,学園青春モノとSFの斬新かつ絶妙な組み合わせが高評価を生んだ,というふうに私は認識しています。ところが,『涼宮ハルヒの溜息』(第2巻)以降は,SF要素が大幅に削られ,キャラ萌えメインのある意味ライトノベルらしい方向性にシフトしてしまったという印象が強くあります。これには出版社の意向がどうのこうのとかそういう話が絡んでくるわけですが。かなり主観的な意見ではあるものの,物語としての完成度という点では,数あるエピソードのなかでも『憂鬱』が群を抜いているように思えてならないのです。

 ここで話をアニメに戻すと,2006年版は「涼宮ハルヒの憂鬱 Ⅵ」,すなわち『憂鬱』が終わったところが最終話となっています。非常に結末らしい結末ですし,その盛り上がりやカタルシスも大きいです。一方,2009年版は早々に『憂鬱』分を消費してしまって,「サムデイ イン ザ レイン」で終話します。時系列に沿って組み立てればそうなるのは当然なのですが,『憂鬱』の完成度の高さと比較するとそれ以降のストーリーはどれも「退屈な日常パートの延長線上」という印象になってしまわざるを得ず,あまりにも芸に欠けます。「サムデイ イン ザ レイン」も良いストーリーなのは間違いないのですが,やはり『憂鬱』と比べると最終話としてはどうにも弱い印象になりがちです。

 2006年版の放送順の妙は石原立也監督の功績というほかないわけですが,それゆえにそれをもとに戻してしまうと面白味が失われてしまったように感じてしまうのは皮肉なものです。あるいは,2006年版の完成度が高すぎたために,それ再構成する時点で貧乏くじを引かざるを得なかったと言えるのかもしれません。

 

 これらの理由から,2009年版は2006年版と比較して作品全体の完成度を下げてしまっていると個人的には感じています。

 長々と述べてきましたが,いずれにせよ,『涼宮ハルヒの憂鬱』はオールタイム・ベストに含まれて然るべき作品であることに疑いの余地はありません。どのような順序であれ,未見の方には是非とも視聴をオススメしたいですね。