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徒然 然

アニメ批評など。

『冴えカノ』に潜むラノベアニメ復権の可能性

 ライトノベル界には「男主人公1:ヒロインn人」という,いわゆる「ハーレム」の構図の作品が横溢している。もちろんその例外は数多く存在するが,発行部数の上位作品を見る限り「ハーレム」が大勢となっているのは確かである。(そもそものラノベを読む層がそれを望んでいるのか,あるいは出版社側の都合でその傾向が作り出されているのかという議論については「鶏が先か卵が先か」になりかねないのでここでは割愛する。)

 

 深夜アニメ界は原作の枯渇が深刻であり,多少なりとも人気の出たラノベがすぐさまアニメ化される。これは当然の帰結として「ハーレムアニメ」を大量に生み出すことになる。毎クール何本も出される「ハーレムラノベアニメ」に視聴者はうんざりしていることだろう。今や放送前のPVの段階から「テンプレ」と揶揄され「0話切り」されるのも無理はない。

 

 しかしながら,「原作で人気がある」というのは何であれその理由が存在するはずである。作品にはそれぞれ固有の「味」がある。その「味」が好かれていたにもかかわらず,アニメ化すると「テンプレ」になってしまうのは何故なのか。それは,アニメ制作側が何も考えず無味無臭に均一化する「調理」を行っているからである。

 

 今期もご多分に漏れず「テンプレラノベアニメ」が非常に多かった。だが,そんな中である種の異彩を放っていたのが『冴えない彼女の育てかた』である。

 

 あいにく私は原作を読んだことがないのだが,単純にストーリーだけを考えれば何のことはない「ハーレムラノベアニメ」である。主人公の男の周りによりどりみどりのヒロインが配置される。正直なところ,第1話(作中表記は「第0話」)を見たときには「またテンプレか……」と思ってしまった。

 

 しかし,『冴えカノ』がほかと異なるのは,その「ヒロイン」を徹底して魅力的に見せようと凝られていた点にある。

 この作品の「味」は,まさに理想を具現化したかのような「テンプレ的」ヒロインの幅の広さ,ないしは種類の豊富さにあるように思われる。特に戦闘があるような作品ではないのだから,「各キャラクターの魅力」の一本頼みということになる。

 そのことを制作スタッフはよく心得ていた。ストーリー上はまったく必要としないが,キャラクターの魅力を引き立たせる上ではなくてはならない「フェティシズム的カット」を随所に加えていたのである。

 この当たり前のように思えることをやらない制作の何と多いことか。そのために,ハーレムであるにもかかわわらず没個性的で視聴後にキャラクターの名前すらよく憶えていないという事態が起こりうるのである。キャラの個性が立っていないにもかかわらず無意味にパンチラで扇情する作品なぞ愚の極みである。

 

 もちろん,『冴えカノ』もストーリー構成の面では多分に問題があったように思う。だが,少なくとも映像面については文句のつけどころがないほどていねいに作られているように感じた。これには作画という意味も含まれるが,最も肝心なのは演出である。

 ラノベアニメが量産される中で,いかにほかとの「違い」を文字通り「演出」するか。作り手側はこれまでの「テンプレ」という枠から脱却して考える必要があるだろう。