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徒然 然

アニメ批評など。

アニヲタは札束で殴り合え

 どの趣味においてもいえることだが,「自称玄人」は「ニワカ」を極度に嫌い,それを排除しようとする傾向がある。素人からすればどちらも同じ穴の狢なのだから仲良くすればいいのにと思うのだが,そうは問屋が卸さないらしい。いわゆる「オタク」はその定義づけを自ら行い,ニワカとの「違い」を主張する。

 

 この偏向はアニメ界隈においてももちろん成立する。アニヲタの「定義」は多種多様であるが,その中でも最も多数派といえるのが「視聴本数による定義づけ」だろう。すなわち,毎クール15本前後を見るのが基本であり,話題作を2,3本つまむだけの人はオタクに非ず,というスタンスである。

 

 確かに,視聴本数の多さは知識の豊富さに直結するし,知識が豊富であればあるほどそれについて精通しているといえる。

 しかしながら,「精通していること」は「オタクであること」の十分条件ではあるが,必要条件ではない

 

 後者が「批評家であること」であるならば必要条件となりうるのだが,オタクが必ずしも批評家である必要性はない。

 たとえば,「『ラブライブ!』に対しては尋常ではない情熱を注いでいるが,ほかの作品にはまったく興味がない人」を指してニワカ呼ばわりすることはできないだろう。

 

 「それはアニヲタではなくただのラブライブオタだ!」と言い出す人がいそうだが,「アニヲタ」という言葉それ自体が包括的な表現であることを理解するべきである。そもそも「オタク」という言葉が本来は他称であり蔑称であるのだから,そこに内情を加味した解釈を求めることはナンセンスである。

 

 つまり,視聴本数でニワカとの線引きができるのは「批評家であるかどうか」という観点のみであって,「オタクであるかどうか」という観点においては適用することはできない。

 

 なお,「批評家であるかどうか」を語る上では,「アニメの視聴本数」だけでなく,その源流である過去の著名な小説や映画を含めた総合的な知識量が重要になってくるというのが個人的な考えなのだが,本項からは逸脱した内容となるため割愛する。

 

 さて,ここまで論を進めるにあたって,保留にしておいた案件が一つ存在する。

 先ほど「オタク」の例の中で「尋常ではない情熱」という表現を使用したが,これは具体的に定義するとつまりはどういうことになるのだろうか?

 

 「情熱」とはつまり「愛着」であり「愛情」だ,というのもロマンティックで良いのだが,いささか抽象性が高すぎる。

 これらと置換できる実際的な事物はただ一つ―カネである。

 

 この背景には深夜アニメという業界の特殊性が存在する。

 まず,テレビを所有していて電波が入れば誰でも無料で視聴できる。これはどのテレビ番組においても同じことがいえるが,大きな違いとして,「視聴率」という指標が深夜アニメにおいては何の価値も持たないという点がある。

 また,映画や書籍においては大衆を扇動し「ちょっと見てみようかな」という気にさせれば興行収入ないしは販売数が伸びる。しかし,残念なことに,深夜アニメ業界においては違法視聴があまりにも横行しすぎており,「話題性」が「収益」に直結しない。

 

 こういった事情があるからこそ,ファンはBD・DVDや関連グッズなどで能動的にカネを落とすことが絶対的に必要とされるのである。「早く2期作ってほしいな,買わないけど」というのはある種のスラックティビズムにほかならない。

 

 誤解のないよう念のために付記しておくが,「特定の作品にこだわらずに幅広く見ている人」であっても,気に入った作品にカネを落としているのであれば何の問題も生じない。ただし,「ただ単に幅広く見るだけの人」は,極端な言い方をすれば「違法視聴しかしないが気に入ったものにはカネを落とす人」に貢献度の面で劣っているといえてしまうということは留意しておかねばならない。

 

 ここまで長々と述べてきたが,結局のところ最も良いのは「ニワカを快く受容する」ことであることはいうまでもない。所詮は内部ゲバルトなのだから。

 しかし,もし「排斥派」に喧嘩をふっかけられたときには,武器となるのは自らが落としたカネのみである。

 そのときにお互いが数枚の紙幣しか持たないようでは何とも心許なく幼稚である。

 カネを落とせば落とすほど業界は豊かになる―「アニヲタは札束で殴り合え」。